<パフォーマンスDVD>
■ドック・ワトソンは、トラディショナルなアパラチアン・ミュージック・ルーツとブルーグラス、カントリー、ゴスペル、そしてブルースを混ぜ合わせて、独自で膨大なレパートリーを創り上げた伝説の奏者。彼のフラットピッキング・スタイルは、ブルーグラスやカントリー音楽おいて、アコースティック・ギターをソロの地位に高めた。そして彼のトラディショナル・アメリカ音楽の解釈は、何世代ものフォーク、ロック・ギタリストたちに深く影響を与えた。そんなドックの映像を集めた100分のDVD。
ドックは1923年3月3日、ノース・カロライナのディープ・ギャップに音楽的に恵まれた家庭に生まれた。彼の母アーニーは昔の民謡や賛美歌などを歌った。また父ジェネラルは、ドックが最初に手にした楽器となるバンジョーを弾いた。1953年ドックは地方のピアノ奏者ジャック・ウィリアムスに出会い、ロカビリーやスウィングを7年間演奏した。後にアルバム「Docabilly」は、この時期とこのスタイルを彷彿させている。しかし同時に、アコースティックなトラディショナル音楽も、彼の家族や隣人のバンジョー奏者、クラレンス・トム・アシュレイと演奏を継続した。
フォーク・リヴァイバルの潮流に拍車がかかった1960年には、フォーク伝承者としてのラルフ・リンズラーやユージン·アールが、アシュレイを録音するために南部にやって来て、その時にドックのことも耳にした。この時のセッションが、ドックの最初のレコーディング、Old-Time Music at Clarence Ashley'sとなった。
1961年、オールドタイム・ミュージック同好会によって、ドック、アシュレイ、クリント・ハワード、そしてフレッド・プライスは、ニューヨークのnow-legendaryコンサートでの演奏に招かれた。そして1年後ドックは初めてのソロ・コンサートとして、グリニッジ・ヴィレッジのGerde's Folk Cityで演奏することになった。それ時以来ドックは、引っ張りだこのプロ・プレイヤーとして、コンサートやクラブ、大学やフェスティバルといった幅広いステージで、またニューポート・フォーク・フェスティバルやカーネギー・ホールでも演奏するようになった。
1960年終わりごろ、ドックは彼の息子マールと一緒にツアーをするようになる。マールは音楽的なまた情熱的な協力者となった。マールはギターとバンジョーを弾くパートナーとして、また運転手の役も務めた。この父子の観客は、全米に広がったのであるが、1985年悲しくもマールはトラクター事故で亡くなってしまう。
50枚以上に及ぶ記録的なレコーディングの数々には、 フラット&スクラッグス、チェット・アトキンスやニッティ・グリッティ・ダート・バンドとのコラボレーションも含まれ、伝説的奏者の中においてドックは金字塔に打ち建てたのである。彼は2012年、89歳でこの世を去った。
【収録曲】
Shady Grove, Storms On The Ocean, Wabash Cannonball, Peach Pickin' Time In Georgia, Daybreak Blues, Windy And Warm, Black Mountain Rag, Medley: Sheeps in the Meadow/Stony Fork; Beaumont Rag, Keep On The Sunny Side of Life, Monkey Around The Winter, Lost John, How Long Blues, Blue Suede Shoes, Shake Rattle & Roll, Bye Bye Blues, St. James Hospital, A Christmas Lullaby, Lee Highway Blues, Medley: Bill Cheatham/Salt; Deep River Blues, Honey I'm Worried Now, Moody River, The Riddle Song, When I Lay My Burden Down, Sitting On Top Of The World, Got The Blues, Can't Be Satisfied, Riding On That Midnight Train, Fire Ball Mail, Tennessee Stud, Daniel Prayed